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INTERVIEW一人称が「僕」の女の子、「僕」から「俺」に武装する男の子【言語学者・中村桃子】

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現代の女性がほとんど使っていないにも関わらず、映画やテレビドラマ、小説といったフィクションの中に根強く残る「女ことば」。

前回は女ことば研究の第一人者・中村桃子教授に、女ことばを現代まで守り伝えてきた者の正体について、続く第2回は女ことばと類似する「おネエことば」について訊いた。

最後の第3回は、思春期に入り一人称が「僕」になる女児や、「僕」から「俺」に一人称が移り変わる男児の内面にフォーカスして、言葉の選択の可能性について考える。

中村桃子言語学者関東学院大学ことばとジェンダーNOISIEノイジー

一人称が「僕」の女の子たち

――「女ことば」を使う女性がほとんど見られないのに反して、一人称が「僕」の女性は身近にいたという人が少なくないと思います。特に思春期の頃に。

小学校高学年とか、中学に上がる頃ですね。
私が調査したときには、「”女”から逃げたかった」といった言葉を複数人から聞きました。身体が女性として発達していくことへの戸惑いや、社会的に女性性とされるものへの違和感。痴漢被害に遭ったり、性的な眼差しに晒される経験を通して”女”というものを放棄したかったとか。もちろんまったく別の理由もあると思いますけど。

その年頃の、女の子が女になる時期ってすごく微妙なバランスなんですよね。だから、それぞれに異なったさまざまな理由がありうると思います。
男の人はずっとパンツ1枚だけど、女の人は胸が大きくなってきたらブラジャーして、生理が始まればサニタリーショーツや生理用品を使うようになって、働きに出ればストッキング穿くようになって、どんどん変身していくんですよね。それを1つずつ受け入れていくわけです。そのどこかの段階で違和感を覚えるのはとてもよくわかります。女になっていくのは楽しみなことでもあるんだけど、性の対象物になるっていうリスクを背負わされることでもある。そういう中で微妙なバランスをとっていかなきゃならない怖さがある。そういう中で、「僕」という男性性で身を守る。

ーー身を守るために一人称で自分を装うことは、男性の場合にもあります。

僕と俺とがありますよね。

――男子たちって少しずつオラつきはじめるというか、より男性的とされている仕草を身につけていく。その流れの中で一人称が「僕」から「俺」に変わっていった子もいました。

あなたはどうしてましたか?

中村桃子言語学者関東学院大学ことばとジェンダーNOISIEノイジー

ーー男ぶるのに気恥ずかしさがありました。でも、おらつきはじめたあの子たちと一緒にやっていこうってなるとやっぱり「俺」でないとついていけなくて。思春期の頃に無理矢理「僕」から「俺」に変えたんですけど、大学に入った頃「阿呆らしいな」と思ってもう1度「僕」に戻るんです。

「僕」に戻ったときどうでした?

ーーめちゃくちゃ楽になりました。

それこそ鎧だったんですね。男社会の中でやっていくために必要な選択だった。そこから降りたと。
今お話しされたように、日本語ではそれぞれのライフストーリーの中で複数ある自称詞(一人称)の中からどれかを選択しないといけないんですよね。英語だと「I」だけだけど、日本語にはいろいろあるから、選ばなきゃいけない。
おもしろさもあるけど大変ですよね。あるものの中から選ぶ以上そこにもうイデオロギーが、区別が生まれる。みんなが選択を迫られてそれぞれにストラグルしてる。

――なんにせよ選択をしなきゃいけない。

男女に限らず、使う言葉によってさまざまな属性が規定されます。手塚治虫の『火の鳥』に出てくるキャラクターが、若い頃は普通に話してたのに、年をとったら急に「ワシは〜じゃ」って言い出したりね。おじいさんとか博士っぽいキャラクターはこういう口調にされがちですよね。金水敏さんという人が研究してる「役割語」についての著書にこういった事例がいくつも出てきておもしろいんですよ。

――そういえば、子供向けの本を作っている友人がいて、彼は作品に博士みたいなキャラクターを出すときに、特に男性の老人である理由がない限り女性にしてるって言ってました。

それはいいですね。その彼もまた選択してバイアスに抵抗してるんですね。

「〜っす」の可能性

大変なことも多いけど、選択することの可能性ってのもあるんですよ。それを最後に紹介したいです。わたしね、「~っす」が大好きなんです。今も「す」に関する本を書いてるんですけど。
これは特に若い男性が培ってきた言葉ですよね。「です」「ます」の丁寧体と「だ」で終わる普通体の間をとったものが「〜っす」。あえて丁寧体でも普通体でもないこの「~っす」を選ぶことで得られることがコミュニケーションのうえでとても重要なんですよね。

――これはどういった経緯で生まれたものなんでしょうか?

敬語を使うと距離ができてしまう。目上の人であってもあまり遠い存在として扱いすぎると適切な距離感でない。その距離を調整しようとする中で生まれたのが「〜っす」。すごい発明ですよ。うちの男子学生たちも非常に高度なレベルで使いこなしてますよ。男社会って階級が好きだから、先輩後輩の間柄をすごく大事にするんですよね。キャラクターでいうと、やっぱり鬼ちゃんね。

中村桃子言語学者関東学院大学ことばとジェンダーNOISIEノイジー

――オニチャン?

auのCMの鬼ちゃん。

――ああ! 菅田将暉の!

桃ちゃん・浦ちゃん・金ちゃんは「〜っす」を使わないでしょ? 鬼ちゃんは彼らに敬意は示しつつもかしこまりきらず、程よい軽薄さで距離感を保ってる。
うちの学生にも鬼ちゃんみたいな「〜っす」の使いかたをする子は多くて、「おはようっす」「こんにちはっす」とか言うの。「おはようっす」は「おはようございます」の短縮としてまだわかるけど、「こんにちは」にわざわざ「〜っす」をつけるのが不思議。だけど、そこに「〜っす」があることによって生まれる距離感が彼らにとって最適で、心地いい関係性を築くために必要なものなんだと思うんですよ。
そういうふうに、言葉を選択できるからこそ豊かなコミュニケーションができる可能性もあるんですよね。

第1回では女ことばが脈々とジェンダーバイアスを補強する機能を担ってきたことが説明された。
続く第2回ではいわゆる「おネエことば」を通して、ゲイへのステレオタイプのみならず一部のゲイ自身の中にある規範意識を指摘し、最終回である今回は一人称を選択するうえで自分の性と向き合わされることについて考えてきた。
言葉に関する規範意識が体制のイデオロギーを実現・維持する手段として使われることがあると中村さんは語った。
慣れ親しんだものと異なる選択には苦難が伴うが、当初のクイア・アイで画一的に翻訳されてしまった「おネエ言葉」は、視聴者が抗議の意思を示したことで修正された。
一般に”崩れた言葉使い”とされる「~っす」によってコミュニケーションを円滑に進められることがあるように、話す言葉の選択で、可能性を広げていくこともできる。
日常的な言葉遣いに対する自分の違和感を信じること、そのうえで、納得のいく選択をし、その意思を表明することが、コミュニケーションの新しい可能性を切り拓いていく。

中村桃子言語学者関東学院大学ことばとジェンダーNOISIEノイジー

中村桃子
関東学院大学経営学部経営学科教授
博士(人文科学)。専門領域はことばとジェンダー。

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ヒラギノ游ゴ

ライター・編集者。ジェンダーにまつわる諸般のソーシャルイシューのほか、音楽をはじめとしたユースカルチャー全般について執筆。

写真 : 宮本 七生

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1986年生。
東京近郊を中心にスチール撮影をしております。
http://miyamotonanami-view.com/

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