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INTERVIEWハーマイオニーと女幹部 「女ことば」は男が作る【言語学者・中村桃子】

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魔法使いの学校に通う眼鏡の少年と赤毛の少年の無茶な提案を、小さな魔"女"がこう諌める。「あら、それはちょっとおバカさんね!」
主演"女"優賞を勝ちとった俳優がこうスピーチする。「このオスカー像は作品に関わったすべての人のものよ! 分かちあうべきだわ」



ただ実際のところ、2人ともこんなことは言っていない。翻訳の過程で添加物を加えられ、ニュアンスが歪められた表現だ。添加物とはすなわち「女ことば」。現代を生きる女性たちがまず使っていないと言っていいその言葉は、なぜかこう呼ばれている。



「女ことばが存在していたほうが都合のいい人たちが、作為的に現代まで残し続けてきた」



そう語るのは「女ことば」研究の第一人者・中村桃子教授。

もうとっくに使われなくなったはずの女ことばを今に伝えているのは誰なのか。それによって歪められ聞こえなくなっているものは何なのか。また本当に生きた言葉とは。

『ハリーポッター』や『クィア・アイ』、戦隊もの、「三太郎」CMに至るまで、具体例を上げながら読み解いていく。

ハーマイオニーと「女幹部」

ーー現代の女性に使っている人がほとんどいないと言える「~だわ」「~のよ」といった「女ことば」ですが、映画やテレビドラマ、小説といったフィクションの中には根強くあります。最近ではそういった状況に問題提起する人が増えてきたように思いますが、どう感じられていますか?

新しい感覚ですよね! 最近のかたはそういうことに違和感を覚えるセンスがあるなって思います。あなたは例えばどんな女ことばが気になりましたか?

――中村さんもたびたび例に挙げられる『ハリー・ポッター』のハーマイオニーは特にですね。

以前、海外ドラマの翻訳家さんたちにインタビューする機会があって、私もその話をしたんですよ。そしたら、皆さんが「わかってる」とおっしゃる。
ハーマイオニーの言葉が日本の11歳の少女の喋る日本語じゃないのは知ってると。だけどハーマイオニーくらいの年頃のキャラクターは脈々と女ことばで吹き替えられてきたから、実在の日本人少女の喋り方をそのままやると観てる人が違和感を覚えるんじゃないか、ということになったそうです。

――ステレオタイプへの忖度が働いてしまったと。

すべてが翻訳者個人の責任というわけじゃないんです。上司や取引先など、いろんなところから女ことばを使うよう仕向ける圧力が働いていて、変えていくには相手取る必要のある人があまりにも多い。
あとね最近私、興味を引かれてるものがあって。ちょっと教えてほしいんですよ。ほら、スーパーなんとかレンジャーってあるでしょ。

ーースーパー戦隊、特撮ものですね。

そうそう。これが興味深いんです! 女ことばに従来結びついていた「女らしさ」って、丁寧・婉曲的・柔らかいといったイメ―ジなのだけど、スーパー戦隊では正反対の強いニュアンスで使われているんですよ。ああいう作品の敵組織の、女幹部っていうのかな。あの人たちが使う女ことばですね。

ーー言われてみると確かに女ことばを使ってますね。

私はまだ、なぜああいう使われかたをしているのかしっかり説明できないんですよね。
ある研究者の解釈によると、こういうときに使われる女ことばは「女らしさの鎧」だと。これからひどいことを言うぞって自分を鼓舞するというか。「女らしさ」を誇張するしぐさなんじゃないかと。
近い例でおもしろい研究があってね。『ライフ』っていう漫画を取り上げていたんだけれど。

ーー「おめーの席ねぇから!」で知られる、いじめ問題を取り上げた漫画ですね。

いじめの主犯格の女の子が、いじめるときだけ女ことばを使うんです。意地悪なことを言うときだけ「~のよ」といった言葉使いになるんです。どう思いますか?

――なるほど。考えてみたんですが、「階級の高さ」を表す意図があるんじゃないかと思います。

スネ夫のママのザマス言葉みたいなね! まさに「高いランクの女の人」の記号化という側面もあると思います。というのも、昔は女ことばの起源は東京の山手の奥様の話し言葉だって言われてたんです。
でも私が研究したところ、本当の起源は明治の女学生言葉にあるってことを発見できた。起源が捏造されることってよくあるじゃない?

――本来は今でいうギャル語みたいな、割とカジュアルな若者言葉だったんですね。

本来はそうなんだけど、やっぱり「階級の高い女性」のイメージは根強くて、それが女幹部に表れてるのかもしれません。

――スーパー戦隊に限らず、女性の悪役がみんな女ことばを使うわけではなくて、幹部クラスでないブルーカラー層というか、末端の女性構成員みたいなキャラクターはあまり女ことばでない印象があります。

それはとても大事な気づきだと思いますよ。ジェンダーの話をすると女対男の構図にされがちなのだけど、女の中にも階級や属性の違いがいろいろある。男ももちろんそう。それを見落とさないのが非常に重要なんですよね。
女の人だからってみんなが共闘して一緒に戦えるかっていうとそうじゃない。「女」という区切り以外の別の属性がそれぞれ違っていたりする。裕福な女性と貧しい女性、白人女性と黒人女性。いろんなインターセクショナリティ(※)がある。

※編集部注:差別の複合性のこと。「黒人女性」における「黒人」と「女性」のように、ひとりの人が複数の属性を持つため同じ属性を持つ人たちの中にも格差やまた別の差別構造がありうる、という考え方。

女ことばが「女らしさ」を偽造する

学生に「女ことばって何?」って訊くんですよ。そうすると「女の人が話す言葉でしょ」って言うんです。じゃああなた、同級生の女子が使ってる?って訊くと、それはないって言うわけ。実在の女性で使っている人はほとんどいないですよね。
私は『「女ことば」はつくられる』って本を出してるんですけど、その中でも「女ことばは女の人が作って使ってきたものだ」という誤解に対して「そうじゃないんだ」という話をしてます。

ーーいったい誰が「女ことば」を作ったんでしょうか?

「国語」ってものの成り立ちからお話しすることになります。
そもそも「国語」も自然にできあがったものじゃないんですよ。国語ができる前の日本では、あらゆる地域でいろんな言葉使いがされていて、東京の人と大阪の人では会話ができなかったなんていうくらいでした。そして明治の頃に、日本が「国家」として他国と渡り合っていくためには国語を作らないといけないとなった。
その流れの中で国語学者たちが、日本という土地で話されている無数の言葉の中から、東京の中流の男性が話す言葉使いを「国語」と定めた。その国語学者たちは、ほぼほぼ全員男性なわけですが。

――女性の話す言葉はその頃、国語ではなかった?

その頃の国語の教科書には載せられませんでした。その頃は女ことばなんて無視されていた。実際に当時の文献に「これは女性が使う言葉だから国語ではない」って書いてあるんですよ。

――平安時代における「ひらがな」の扱いに近いものを感じます。

そうそう。例えば「アタイ」っていう自称詞(一人称)、昔は男の子も使ってたんですよ。だけど当時の「国語」の考えかたによれば、これは女性の言葉だから国語じゃない、「僕」って言わなきゃいけないってことになった。

――言葉による「男らしさ」の押しつけがあったわけですね。ここまでのお話だと、女ことばは存在そのものを無視されていて、現代のような「女らしさの押しつけ」として機能している状況に至っていませんね。

そう。この後なんです。戦争が大きな転機になります。
大日本帝国軍が東アジアに入って、「同化政策」を始めます。植民地の人を日本人にしてしまおうっていう考え方ですね。でも、植民地の人にいきなり天皇を敬って臣民になれって言ったって無理ですよね。だから、まず日本語を強制したんです。

強制を正当化するために「日本語はいいものだぞ」っていうロジックが必要だった。大東亜共栄圏の盟主たる日本のすばらしい言語だってことを表明しなければいけない。その一環として「日本語は女と男で使う言葉が違うくらい精緻なすばらしい言語なんだ」っていう論調が出てくるわけ。

――このタイミングですね。

そう。この頃からだんだん国語の教科書の中にも「~だわ」「~のよ」って言葉使いが取り入れられるようになっていくんです。その頃から「女ことば」というのは古来からある、日本人女性なら誰もが受け継ぐべき美徳として吹聴されるようになってきた。
こういうわけで、言葉というのは皆さんが思ってる以上にものすごく政治的イデオロギーに左右されるものなんです。

――そして女ことばは今も「女らしさ」の押しつけとして機能しています。家父長制の要請によっていまだに規範として扱われている。

そうなんですよ、「臣民」の時代に国策として利用されたものが、戦後の今もよいものとされてきているわけです。
私が女ことばの一番大きな弊害だと考えているのが、「女らしさ」の自然化がおこなわれてしまうこと。

――「女らしさ」の自然化?

例えば講演会で「子供の頃、親御さんから”女の子なんだからそんな言葉使いはやめなさい”と言われたことはある?」って訊くと、ほとんどの女性が手を挙げる。男性なら「男なんだから泣くな」ですね。

日本ではそういった「らしさ」の強要がものすごく強い。例えば「やまとなでしこ」といった言葉がそうですね。日本人女性は「日本人女性らしさ」を、古来から続く奥ゆかしい性質を、生まれながらに持っているものなんだって考えたい人がたくさんいる。こういうのを本質主義と言って、「女らしさ」というものが元々存在していて、時代性や土地柄に左右されず普遍的なものだとする考えかた。対をなす「社会構築主義」では、「女らしさ」は社会が作り上げたものと考えます。
本質主義的な考えかたで凝り固まると、「お前女のくせに意見言って出しゃばるな」みたいな言いかたができてしまうわけですよ。
そして翻訳によって「外国の人も女ことばを使う」=「女らしさって万国共通なんだ」とバイアスが海外の人にも向けられちゃうんです。世界中どこでも女性はみんな女らしさってものを持ってるものなんだ、期待していいんだって。
こういった流れで、実在しない「女らしさ」が女ことばによって自然と昔からあるものとされてしまう。私はこの点が女ことばの何より大きな問題だと思ってます。

全3回の初回であるこちらの記事では「女ことば」の成り立ちについて伺いました。
続く第2回は女ことばと共に研究を続けているという「おネエ言葉」について。
第3回は一人称が「僕」の女性や、男性が「僕」と「俺」どちらを選ぶかといった「言葉の選択」について伺います。
第2回は12月23日公開予定です。
第2回:「おネエことば」には「ひっくり返す力」がある。ただ、【言語学者・中村桃子】

中村桃子
関東学院大学経営学部経営学科教授
博士(人文科学)。専門領域はことばとジェンダー。

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ヒラギノ游ゴ

ライター・編集者。ジェンダーにまつわる諸般のソーシャルイシューのほか、音楽をはじめとしたユースカルチャー全般について執筆。

写真 : 宮本 七生

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1986年生。
東京近郊を中心にスチール撮影をしております。
http://miyamotonanami-view.com/

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